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2018年6月

風化に耐えてひっそりと

苫小牧東部石油備蓄基地

浜厚真に近く、北電の火力発電所が見える
林の中に、取り残された空間がある
緑が生い茂ると見づらいが、微かに煙突の様な空気穴が
見えれば、そこに間違いなくコンクリトの建築物がある。
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ここも少し小高くなっているが
砲を入れたか、造成中のトロッコの搬入か
大きな溝が掘られている

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この窪みが、トーチカに続いている

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上の写真に、微かに木の葉に隠れた煙突状の空気穴が見えますね
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当時の物資不足を補うように木材がコンクリートの上部に使われてます
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天井には、現在の住人のコウモリ君がぶら下がって

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ここにも

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石灰質が溶け出して鍾乳洞のようなつららが垂れ下がってます

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トーチカの入り口も、こんな状態です
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中は真っ暗で向こう側に砲口が有り、海側を向いています。
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砲口から外を見ると、今は土が盛り上がって70数年の年数を感じさせます
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もう一カ所のトーチカは、暫らくぶりで
設置場所を探すのに手間がかかった
何と、以前行った時には見られなかった
塹壕が張り巡らさせていたが
なんぼ探しても、肝心なトーチカが見つからない
諦めて、少し移動して探すと
あった~と叫んでしまった
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上の写真は入り口である
ここも狭い、風が海風が土を運んで来ていた

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この日は、夕方になってしまった
まだ探し求めていないトーチカは秋に・・・

トーチカは、昭和19年に第77歩兵師団(稔部隊・15,015人・師団本部は早来)によって、勇払平野に47基程構築されたそうです。

アメリカ合衆国などの連合国軍の道都札幌への侵攻と当時、苫小牧と千歳のそれぞれに2箇所ずつあった飛行場を占領し、本土空襲への拠点となるのではないかと危惧されて。

丁度、この地域は砂浜海岸が続くため上陸用舟艇の接岸に適し、地理的にも札幌へのほぼ最短距離に当たるため重要視され短期間に構築されたようです。

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トーチカと塹壕を訪ねて その①

先日、友人の若者と

苫小牧東部工業団地と石油備蓄基地周辺の
戦争遺跡を訪ね歩いて来た。
そのうちの一つは
昨年の春に探し出した
柏原2トーチカと呼ばれる戦跡
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車を停めて650m程林の中を歩く
東部工業団地の一角の林の中に
取り残されたトーチカがある。
以前、この周辺も探しに来たのだが見つけられなかったのだ

元々2箇所に建造されていたようで
1箇所は、道路用地として取り壊されたらしい
海岸からは、かなり離れた内陸地に
柏原2トーチカは有った
昨年調査に来て確認していたが
雨が降りずぶ濡れで、途中で調査は諦めた
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トーチカ内部は真暗で、ライトを当てながら調べて歩く
ライトとフラッシュで、写した写真が上の写真だ

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現在の住人は彼らだ
かなりの数の住人が居た
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砲身は海側に向くように
少し小高い処にトーチカは有る
ここには、四一式山砲又は、九四式山砲
が設置さていていたらしい

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この工業団地の外れに、昨年早春n発見された
塹壕が見つかったというので、移動してまた林の中に

探して歩くと、調査した人の踏み跡らしき処に入ると
それはあった

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この裏側にも
迷路のように蜘蛛の巣状に
張り巡らせた塹壕が有った

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塹壕も小高い処で切れて

おそらく
小高い処から銃を構えた兵士が身をかがめて居た
だろうと予想された
2017年5月16日の苫小牧民報によると
兵士が身を屈めたのは散兵壕といい
交通壕が張り巡らされて

四一式山砲も据えられていたらしいとの事で
この近くにもトーチカは有ったか?


この後
9年ぶりに備蓄基地まで行くが
お昼になり、昼食休憩を苫小牧の港周辺で頂いた
この日は、若者に御馳走になった



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