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2014年5月

済州島にて その2

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ここは、4・3事件の被害者の
お婆さんが暮らしていた家
1949年警察に顎を撃ち抜かれ、吹き飛んでしまったハルモニ、
顎を銃で撃ち抜かれ
木綿の布のお婆ちゃん((ムミョンチョンハルモニ)と呼ばれ
木綿の布で顔を隠しながら生活していました。

本名は、チン・アヨンハルモニ(お婆ちゃん)
生活は、貧しく病院にも行くお金も無く
ひっそりとサボテンの実を採取し
その売り上げで生活していました。

2004年に亡くなられた
そのお婆ちゃんの生前の姿をDVDで見ながら涙が止まらなかった。
そのDVDには、布を外した姿もあったのだ
顎がないため、人前では食事をとらず、人との会話すらしなかったと
親類が、面戸を見てくれて、病院に薬をもらいに行って
何とか生き延びて来たのだった。
家は、生前のままの姿で、NPOボランティアの方々が
保存に努めている

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ハルモニの生前のDVDを見ながら

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家にあったお婆ちゃんの写真に添えられていた仏壇に
お線香を灯し、手を合わせて合掌
海岸の傍に、びっしりと生えたサボテンを見ながら
帰り際に、家の庭の雑草を抜いて帰ってきました。

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松岳山の海岸洞窟
第2次大戦末期には、済州島の各所に海岸の洞窟が掘られた
西帰浦層(ソグィポ)と呼ばれる
約200~300万年前の貝類化石層の玄武岩で覆われた
岸壁地層の海岸に
体当たり船の特攻船の出撃基地と弾薬庫がある

看板は、特攻船「震洋」の写真&軍人たち
ここは、ドラマ「チャングムの誓い」の撮影場所でもある。

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現地の済州島住民を
強制動員・強制労働で、硬い岩盤に洞窟を掘った現場でもある

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下の写真は、旧日本軍モスルポアルトゥル飛行場の跡地に残る
掩体壕が今も残る地域で、滑走路は草が伸びているが
有事の際に使用可能の軍事施設がある

この掩体壕増築にも、地元住民が駆り出されたのである

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その近くに、弾薬庫があったが、戦後アメリカ軍が爆破したが
1950年6月25日に朝鮮戦争が始まると、当局に監視対象となった
住民252人が予備検束(旧日本植民地時代の名残)され、この
弾薬庫跡に立たされて、銃撃で集団虐殺された。
6年後遺族たちは、132体の以外を収容したが、時間の経過のもと
身元判明が困難だった。

弾薬庫跡に犠牲者の名前が刻まれています。

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上の爆弾落下跡の窪地に、投げ込まれるように
この場所に立たされ、下から銃撃され殺されたのだ

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犠牲者を弔うように名前が刻まれています

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今も残る掩体壕、零戦の模型が飾られていました
付近では、農家の方々が、大根の収穫真っ最中

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百租一孫之地の慰霊碑、その後ろに墓地が132名が埋葬されています
旧日本海軍弾薬庫で集団虐殺され、6年後遺族たちは、132遺骸を収容して
ここに集団墓地を造り、犠牲者を弔
っています。


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集団虐殺された132遺骸を収容したが
身元判別が困難なために、「百人の祖父に一人の孫」という意味の碑をを建てた
4・3事件の集団犠牲者をまつる最大の墓地
お墓には、名前が無い。

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下の写真は、当時村人が建てた墓標まで破壊されました

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4月3日平和公園にて
4・3事件追悼式に参加してきました

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犠牲者の名前が刻まれて

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新しい名前も追加されて

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納骨さた犠牲者の遺骨

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墓地には遺族が花をささげて

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式典風景

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