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2013年7月

恩師 「樺太での戦争体験を語る」

昨日
開拓の村で
小学校5~6年の担任が
語る
戦争体験
ー世代をつなぐ語りー
「戦中・戦後の道民のくらし」
”樺太での戦争体験を語る”
を聞きに
開拓の村に行って来た

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暑い日であった
開拓記念館は
何度も行っているが
開拓の村は
初めて足を踏み入れた
何と
懐かしい風景が
目に飛びこんで来た

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少し早めに行って
早めの昼食
それから時間まで見学
入場料は
65歳以上無料ということで
タダ

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興味がそそられたのは
恵庭に
酒蔵があったという事だ

初めて聞く話だった

会場はビジターセンター
同級生が一人来ていた

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小学校6年生の時に
敗戦を迎える
引き揚げ時に
空襲に会う

死体が爆風で飛び散った
その時の事も語った

話はICレコーダーに録音した

話し始める前に
吾輩の顔を見るなり
〇○君

実は
母が亡くなった時
告別式に駆けつけてくれたのだ
火葬場に
乗り込む前に
葬儀場で挨拶をしようと
顔を上げた
前に恩師の顔があった
新聞を読んで駆けつけてくれたのだった

この時は
どれほど有りがたかったことか!

樺太生まれとは知らなかった
知取丁初音というところで生まれたという
小学校6年で
竹槍や拳法などの軍事教訓をしていたそうだ
8月11日ソ連が国境を越え攻めてきたので
樺太庁は
中学生上の男子を残し
婦女子を急遽
北海道へ疎開させる命令を出した
8月20日列車で大泊に向う
22日豊原駅で降ろされた
駅前には
避難民で溢れていた
街の家々に白旗が掲げられていたが
武器を持たない日本兵が
避難民を収容先に誘導していた
戦争が終わったと思い空を見上げると
2機の飛行機が現れ
爆弾を投下した
その時に
母親が負傷した
母を連れて
駅前広場の赤十字テントに行くと
テントは吹き飛ばされ
跡形も無くなっていて
無残な遺体が散乱していた
逃げ惑う人々に戦闘機が
機銃を撃ちまくっていた
何処を逃げたか
幸いにも樺太医専病院に出て
手当を受けたが
重身の母の様子を見た医師の指示で
病室に案内された
という
体験を話された
その後
8月25日無事妹さんが生まれたそうである

帰還は
昭和22年(1947年)3月引き揚げ許可がおり
家族全員で
真の収容所で1週間程度過ごし
3日間かけて函館についた
翌日函館から
札幌に向かい
親戚の家に世話になり
10月に月寒の旧陸軍兵舎跡に引っ越しをしたと

その後は
戦後の話の中で
千歳の教員住宅
小学校の写真をスライドに写しながら
生い立ちを語った

講演終了後
時間があり
開拓の村を探索

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馬鉄屋(蹄鉄屋)   懐かしい・・・

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写真は何枚も撮ったのだが
この日の暑さと湿気の為
レンズが曇り
ぼやけた写真が多い

でも、時間のかけて見る価値あり






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