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2011年11月

今年もまた

秋深まり
初雪も降り注ぎました

千歳川には
何時もの様に
マガモの群れやカワアイサ
キンクロハジロ、ヒドリカモ君達が
やってきました

その川沿いの散歩道
昨年もありましたが

人工物でつくられた
小鳥の巣

人が捨てた
石油製品
土にも帰ることなく
風に舞い散る

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それでも
鳥たちはやってくるのです

この時期
サーモンを追いかけてくる
ヤマベやウグイ

それを狙って
カワウやダイサギが

しかし
ビニールで工作された
巣は
何を語るのでしょう

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子育ては
すでに終えて
木の枝に引っかかるようにようにして

傍に行かなければ
判らないように
今だからこそ
発見できます

木の葉が落ちたから

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それでも
ここは清流
千歳川

マガモが
何事も無かったように
日向ぼっこ
しています

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智異山WS共感プロジェクト その5 智異山最後の夜

若者は
言った
ここに居てほし友人がいる

今回のWS事務局の中心を担った
漢陽大学生
ホボン君だ
日本語は
TVドキュメンタリ番組で
独学で覚えた

彼は
ここに来てほしい
友のことを言った

北海道ウリハッキョ
高校生のことを

一人は
日本国籍を持つ

もう一人は
朝鮮籍だ

だが
来てほしい人が
来れない

涙を流しながら
訴えた

同じ民族でありながら
国籍が
違う

その人達とは
日本
北海道で会うことが出来るが
韓国では出来ない

分断国家が抱える問題

若者は
その事をうれいた

肩を震わせながら

声を震わせながら

思わず
涙がこぼれた

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トブロ(共に)智異山 共感プロジェクト WS その4

最後の晩さんは
夜遅くまで続いた

しとめた1頭の黒豚を食べつくす
最後まで

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友人の丁九が
バーべキュウをしながら
肉を焼く

彼は
随分と日本語が達者になったが
2008年
全くと言っていいいほど
日本語が話せなかった
元々日本人が嫌いだったと言っていたが
遺骨返還や遺骨発掘を通じて
日本人と話がしたいと思い
何度か
北海道に来て
深川のお寺で宿泊しながら
農家の奥さん方にキムチの講習会
作業の手伝いをしながら
言葉を覚えた

今では
親友の間柄で
仙台を中心にしながら
震災ボランティアに参加している

この日は
それぞれが
感想を述べ合った
そこで初めて在日の
若い女性達と
本音で語り合えた

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その夜の
村の風景
暗闇にポツリと燈る灯り

翌日は
古き韓国の伝統を残した
農村に寄った
伝統家屋

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入口に
亀の上に
南洪里沿革碑が


赤い粘土で
石積みされた塀
細い路地

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そして
伝統的家屋が

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上の家には
人が住み続けているが
そうとうに古い家屋とか

ソウルに引き揚げてきたら
日もたっぷりと暮れていた

平和博物館に荷物を置いて
最後の晩餐
皆さんも参加

2007年札幌に日本語の勉強で
ワーキングホリディで知り合い
猿払村に
聞きとり調査に参加

2008年遺骨奉還の時には
ボランティアで通訳を務めたり
お年寄りの世話をしてくれた
忠北大学院生の
ソン君が
合流
韓国の友人が会いたいと話をしたら
携帯で連絡をして
呼んでくれた
年こそ離れているが
大切な友との再開に
夜もふけた

言葉こそ通じ合えない人も
多かったが
また再び
会える日がくるだろう

その日が楽しみだ

もう一人
今年の春まで
北大大学院に留学していた
ミヨンが
金曜日の夜
ソウルから
高速バスで3時間半
智異山の平和の村まで
迎えの車で
40分かかり
来てくれた
帰国して
なかなか就職出来なかったが
証券会社に勤めた
まだ、見習いの為
厳しいらしいが
お土産を担いで
会いに来てくれた

早く一人前になり
北海道に来たいとのこと

ふる里は
韓国にあっても
もうひとつは
北海道だ

大切な友人達が
一人ふたりと増え続ける

多くの友に
恵まれたいものだな!

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智異山WSその3

フィールドワークでは
挟川(ハプチョン)で
ある村の集会所
公民館の様なところに
村のお年寄りに集まってもらい
戦時中の
強制動員(連行)の聞きとり
我輩は
ビデオカメラで全てを撮って来た
男衆、女衆に分かれて
聞きとり
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右の帽子のハラボジ(お爺さん)の
お兄さんは
北海道の炭鉱に連行され
遺骨になって帰ってきたそうだが
何処の炭鉱かは判らないと・・・

左のハラボジは
何と、美唄炭鉱
イロイロ聞くと
どうもタコ部屋
生きて帰ったが
裸同然
働いた賃金は
ピンはねさせられ
無一文同様で帰国したそうだ

帰り際に
山の上にあるサウナへ(チムジルバン)
シャワーしかない中で
韓国のサウナは
有り難かった

今回で韓国サウナは
2度目
風呂は男女別々だが
いろいろあるサウナでは
男も女も一緒(男性も女性も)

智異山音楽祭も行われた
チャンゴにチン(銅鑼)
皆で踊りまわる
我輩は
ムックリを持参し披露

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肩を組み
アリラン・イムジンガン
東北の震災被害者に追悼の唄として
「上を向いて歩こう」

韓国の若者も
在日の若者も
そして日本人も
心ひとつで歌う

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行く前から
震災被害者に追悼をしたいと
連絡が来ていた
韓国の若者
大学生が中心になり
プランンが練られた
今まで
日本名で過ごしてきた
在日の女の子も
初めて本名を名乗った
言葉やも文字を学ぶために
朝鮮籍から韓国籍に変えた人も
脱北者の若者2名も参加
彼らは
今、大学に通っている
脱北者の為のNGOの関係者も
参加していた

言葉が通じる人も
手招きで会話をする人も

2月に来て
吾輩の車で
朱鞠内WSに参加した
絵本作家の女性も
会話は手ぶりで
我輩は
彼女彼らに
スパーマリオと言われている
ゲームに出てくる
キャラクターのことだが
愛称になってしまった

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トブロ(ともに)共感プロジェクト 智異山 その2

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上の写真が今作られている原発
低レベル廃棄物処理所のすぐ隣
海の傍である

河口堰も見てきた
二つの川を合流地点から
堰き止め
途中途中に堰を設ける
豊かな土地は消え
農業が出来なくなると言う

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川の流れは
随分と変わってしまっている
韓国も日本同様
乱開発で自然の景観は破壊の一途

私達が宿泊した付近は自然が残され
古くからの寺院も残されたり
寺院の跡があったり
飲み水は
井戸水ということで
そのまま飲めたのだ
朝晩薬を飲まなければならない我輩にとって
水の確保は大事
それがミネラルウォーターでなく
飲めるとは
確かに
農場脇には
川があり
湧水も流れていた

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上は
この村のフィールドワークで通った
お寺の境内に


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見事な大福様が(いや違うかな)

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この建物の中に
石碑が入っていた

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途中の風景はこんな感じ

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若者達みんな
暑いので
山の麓の
川の中で大はしゃぎ

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農家の納屋で
赤べコ発見
子牛が可愛い
この日はゆったりと時間が流れた












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