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2010年8月

8月20日の出来事

今朝の新聞によると
第2次世界大戦直後、樺太・真岡(ホルムスク)郵便局で起きた集団
自決は服毒した青酸カリの出所が謎とされてきたが、元同僚が「工
事用の持ち出しを目撃した」と初めて明かした。

別の同僚は憲兵から渡されたと証言。厳重に管理されるべき毒薬が
職場からも軍からも容易に流出し、結果的に自決につながったことが
分かった。

と記載された記事を見つけた。

今月20日
65年前のその日に
青酸カリを飲み
自決した若き女性達がいた

樺太・真岡
稚内の丘の上
遠く樺太が見渡せる
その丘に有名な
氷雪の門とともに
「みなさん これが最後です
 さよぅなら~ さようなら」
最後の通話が
碑に刻まれている

今日の新聞に
青酸カリの入手ルートに
二つのことが書かれている

一つは
豊原電話工事局真岡出張所元所員(80)

出張所は電話交換機や電話線の技術部門で
工事用の青酸カリが常備されていた
郵便局から徒歩15分ほどの距離で
職員同士が頻繁に行き来していたという

彼は
旧ソ連が上陸前の17日
所長らが外勤中に
先輩の女性事務員が薬品室の扉を開け
茶色の瓶から灰色の塊を出した。
尋ねると、青酸カリと答え、ドライバーで砕いて
新聞紙にくるみ{交換室に持っていく」と部屋を出たと
この出張所から
青酸を持ち出したと話をしたという

もう一人は
元交換手(85)
「憲兵から青酸カリはもらった」と

当時の局長は
「軍命はなかった」と手記に認めているが
当時局長は不在

毒の出所について「工事局らしい」と伝聞に基づく
推測でしか書いていないと
推測で書かれた手記 の裏ずけの話が
今頃になって出てきた

自決した
交換手から
「毒は軍人にもらった」と聞いた
同僚がいることが分かってもいるそうだ

しかし
こうした
集団自決はここだけではない
沖縄にもある

「生きて虜因の辱めを受けず」という
戦陣訓が一般女性にも及んでいたと

札幌在住の作家が、この悲劇を2008年に
「永訣の朝」で紹介しているそうだが

この自決を
止めようとした人がいる
その時には
すでに
口に含んでいたかどうかはわからないが

北部軍司令官
樋口季一郎がその人だ

ユダヤ民を逃避させたことでも、有名な軍人である

この自決を
美化する人達がいるが

後輩の
吾輩としては
やりきれない気持ちでいる

この当時
郵便局は
逓信省
電話、電報も局の仕事だった

最後の
通話は
今は取り壊されてしまった
戦跡
北部軍防空指揮所の
女子挺身隊(女学生の学徒動員)の
一人が
ここで傍受したそうだ

「月寒郷土資料館」が
当時ここに勤めたことのある
元女子挺身隊の一人から聞きとりをしている

元工事局員によると
「日本の武器は竹やり、腹を裂かれ、女性は乱暴されると教え込まれていた。
男も女も自決は当然と思っていた。青酸カリを砕く思いつめた顔は忘れない」

この青酸を持ち出した女子事務員は
自決には加わらなかったが
その後の引き上げ船が留萌沖で撃沈され、死亡した。と

死ぬことが美化された
軍国主義時代

生き延びた人々は
事実を明らかにしてほしいと願わずにはいられない

ここで疑問が出てきた
この工事事務所元所員は
青酸は毒物で危険を承知していたはずなのに
どうして止めずにいたのか?

そして
何故今頃になって、話をしたのか?

この疑問に
新聞記者は何も感じなかったのか?

しかし
もうすぐ20日の命日がやってくる

南無阿弥陀仏
合掌

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水を探しているかな

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沢山の

カラスアゲハが

舞い降りて

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ミネラル&水分の補給かな

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