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2009年10月

刑務所にも

Plötzensee メモリアルセンター
プレッツェンゼー刑務所
そこは
ナチスに抵抗した人々の処刑所であった

Tsu_4644

1933年~1945年までに
反ヒトラー抵抗運動に参加していた市民が幽閉され
ここで3、000人以上が処刑された。
当時の処刑場が残されている。

ナチスは
自らの立場(政権)を利用しながら
ナチスに抵抗した人々を処刑した
人民(民族)裁判の名のもとに

処刑場跡に花輪が備えてあるが
訪れる人は少ないようだ

静かに犠牲者を追悼する
祈りをささげる

ここも追悼施設
記憶の場所である

現在も刑務所施設であり
そこにナチスの犯した犯罪資料館として
追悼の場として公開されていた

Img_1665

ナチスの裁判の様子などが展示されている

ユダヤの民だけではなく
ドイツの人々も抹殺した

ベルリン市内に
過去のドイツの犯罪を告発する
こうした施設が
存在している

1952年に
追悼所が設置され
犠牲者への祈りをささげる施設になった
隠すことなく
刑務所の一角に・・・記憶の継承が

見習うべきことだな~

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死の待合室

ワルシャワの街
そこに
ある一角
死の待合室と呼ばれる
モニメントがある
貨車の大きさの
コンクリートと御影石で出来た
記念碑(追悼碑)

ウムシュラークプラッツ(UMSCHLAGPLATZ)
死の待合室

ナチスは
ここポーランドの
ワルシャワでも
狭い空間にゲット(ユダヤ人居住地)に
ユダヤの人々を閉じ込めた

周りには逃亡できない壁を造り

狭い居住区に閉じ込めていたのだ

そして
ここ
UMSCHLAGPLATZから
トレブリンカ絶滅収容所に
貨車に乗せて

トレブリンカ絶滅収容所への強制移送は
1941年7月20日から開始された。
毎日7000人の人々が

戦場のピアニスト
あの映画で
人々が列をなして
銃を突きつけながら送り出された

その光景の場所である

でも貨車に乗る前に
飢えや
栄養失調で死んだ人も多いそうだ

貨車に載せられた人々も
その後は
ガス室に送られ
虐殺された

Warszawa18

Warszawa20

辛い歴史だが
忘れてはいけない事実
そして繰り返してはいけない
その為に
モニメントはつくられた
この裏から
人々が
貨車に載せられた
荷物のように
牛や馬のように・・・・

Img_1619

苦しみと死を30万人以上のユダヤ人は
1942年から1943年には、ワルシャワゲットーからナチスの
絶滅収容所のガス室に追われた

この貨車に乗って

30万人の人々が
そして26万5千人が
殺された

モニメントには
最初の犠牲者400人の名前が刻まれている

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