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2009年9月

記憶の記録

2

過去の犯罪を記憶する
ナチスが
犯した
虐殺

その取り組みの
一つが
写真のプレートである

このプレートは
ドイツは
ベルリンの歩道の上
石畳の歩道
そこに埋め込まれた
プレート Stolpersteine

「 ここに住んでいたレギーナ・シリッメルは
1885年生まれで
1942年に強制輸送されて
リーガで殺害された 」
書かれていたこのプレートの内容である

彼はナチスの犠牲者の一人である

この歩道の前の
アパートや家に住んでいたり
会社や
店が
そこにあったが
そこから
その人は
連れ去られ
何処で殺された

そこまで
書かれた
表示の標識

リーガとは
何処か?
調べたら

現在のラトビアの首都である
ここにも
ゲットがあったらしい
そして
強制収容所も

市民が
常に歩く
足元に
犯罪の歴史の記録が
埋め込まれている
歩くたびに
靴で磨られて光り輝く

そこで
書かれた文字が浮き上がる

はっきりと目にとまる

Stolpersteine 躓きの石

そこに
今住んでいる人が
外に出て目につくように

身近な所でも

記憶の記録の
取り組みが
実践されている

ナチスの犯罪が
なかったなどとは言えないのだ

嘘は通らない

歴史の歪曲も通しない

その現実を
歩いていても
知ることが出来る

今も
犯罪者は

暴かれている

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Oświęcim

Oświęcim オシフィエンチム

この名が
本来の地名である

あの悪名高き
Auschwitz(アウシュヴィッツ)絶滅収容所がある街の名前である

ドイツがポーランド(ポルシカ)に進行して
付けられた名前が
Auschwitz(アウシュヴィッツ)である

Memorial and Museum
Auschwitz ー  Blrkenauは
国立Oświęcim 博物館であり
世界遺産に登録されているが

この
Oświęcimの街については
余り紹介されることがない

本当に静かな
地方の綺麗な街である

空から眺めた景色が
アウシュビッツ・ビルケナウ博物館の
HPに掲載されていた(下の写真)

この美しい風景の街の一角で
あの惨殺行為が行われたとは思えないほどである

20070105_4d

 ソワ川の橋を渡り
Oświęcimの街へ入ろうとすると
左側に白い教会が見えてきた
その教会が
ドイツが占領していた時に
ゲシタポ(国家秘密警察)の事務所が置かれたそうだ

Img_1481

この橋を渡り切ると
東ヨーロッパの面影が漂ってくる

川の土手には柳の木がそびえている
垂れ柳は日本と中国か!
と思っていたら
なんとポーランドにもあってビックリ

橋から眺めると
巨大な建物が見えた
屋根の模様が印象的であった

Img_1480

近づいて行くと
この大きな建物も教会
カソリック教会であった

この教会の裏手が
メィーンストリートで
商店が並んでいて
両替所や銀行などもある

アイスクリーム屋に人が列をつくって並んでいた

白い教会の横に
ユダヤセンターもある
資料館の奥がシナゴーグ(ユダヤ教会)だ

ここはボランティアが管理
今、現在
この街にユダヤ民は住んでいないそうだ
ASF(行動・償いの印・平和奉仕)から派遣されてきている
若者もいた

礼拝所に入って被っていた帽子を脱いだ
すると
「帽子は脱がないで~」
同行のポーランド人のU君から注意された
礼をつくして帽子を脱いだのだが
振り返ると
男性は皆
頭の上にチョコンと乗っかる帽子を被っていた
礼を尽くしたつもりが失礼をしてしまった
知らないこととはいえ
ユダヤ教徒は帽子を被るのが
礼拝所に入る礼儀だそうだ

Img_1482_2

その事を教えてくれたU君は
クリスチャンでありカソリック教徒なのだ
文化や宗教の違いを超えて
彼も帽子を被っていたのは云うまでもない

U君の姿勢に脱帽
いや帽子は脱いでは行けなかったな~

白い教会はミサの最中で
中は覗けなかった

通りに出て
しばらく行くと
ユダヤ民の墓地がある

Img_1488

入口は鍵がかかっている
先ほどのユダヤセンターが管理をし
鍵はそこから借りなければ入ることは出来ない

ここの墓碑は
1時期壊された歴史を持っている
所々に
その残骸が転がっていたが
概ね直されて
綺麗に整理されている

Img_1490_2

ここまで来て
初めてOświęcimの街で
歴史の一角を知る

墓地は塀で囲まれていて勝手には
入れない

帰り道に
キリスト教徒の墓地があり
そこも見て来た
この街の多くの人が
キリスト教徒なのだろう
造花を売っている花屋さんもあり
蝋燭に火が灯されているお墓が
随分あった

日々人々が訪れている
墓地のようだ

Img_1495_2

このOświęcimの街を
散策しなければ
違いは確かめられられない

でも
Oświęcim
オシフィエンチム
美しい風景の街

60数年前 
ここで! この街の
絶滅収容所で

ガス室に入れられ
焼却炉で焼かれ
骨まで粉々にされて
殺された人々がいたことは
忘れてはいけない
歴史である

伝えよう!
記憶しょう!
追悼しよう!
という姿勢の見える街でもあった

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