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2008年11月

Wakka-ta-sap

Wakka-ta-sap
ワッカ・タ・サップ
アイヌ語の呼び名の川の名前である
山田秀三著「北海道の地名」で調べると
「水を・汲みに・下りる処」又は 「水が・ごちゃごちゃに・流れ出る」とある

その川は
吹き出し公園のある
名水の里 京極町の北側の奥から流れる川の名前
その名前から
脇方と名付けられた鉱山があった
日鉄鉱業株式会社北海道鉱業所倶知安鉱山=脇方鉱山と呼ばれた
露天掘りの褐鉄鉱山

この地にも
大勢の朝鮮人や中国人が・・・
強制連行・強制労働の歴史が残されていた

戦時中4千人が暮らした鉱山の町があった
廃線となった胆振線京極駅から7キロ
脇方まで支線が走っていた

鉱石は
室蘭まで運ばれた

第2次大戦中、
軍需増大の1942年(昭和17年)から3年間は24時間フル操業の体制で、増産に次ぐ増産、掘削量は年間57万トンから59万トンに達した。

その陰には労務者収容所に入れられた朝鮮人1千人、中国人550人の強制労働があった。
昼夜3交代、日夜通しの過酷な労働であった。

Img_0874

この町の
町営川西墓地に
朝鮮人物故者一同ノ墓がある
建立は昭和35年8月15日
犠牲者の名前が書かれていない

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町内の寺院に預けられた遺骨を集め
共同の慰霊碑を建て、丁寧に葬ったと町史に記されてはいるが
その具体的いきさつは不明のままだ

1969年(昭和44年)10月閉山された鉱山であるが

しかし
確かに
足跡は残されていた

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古い炭鉱跡に残された歴史

北海道で
最も古くから採炭が行われた
炭鉱がある

白糠の戻山鉱山と
泊村の茅沼炭鉱である
カヤヌマ(茅の澗か? 帆の形の岩や崖の処の意味か?)
アイヌ語か、日本語か?定かでないそうだ

ここの場所請負人の船頭が
船具の材料を探しに玉川の奥に入り、燃える石を発見したのが始まりとされる

時は1853年(安政3年)幕末
1854年(安政4年)には、採掘が始まっていたそうだ
その頃は
松浦武四郎が蝦夷地を歩きまわっていた時期でもある

箱館開港が1859年(安政6年)で
外国船の燃料として運び出された

この茅沼炭鉱では
1937年(昭和12年)にタコ部屋がつくられ
奴隷労働が行われていた
タコ部屋は1946年、47年頃まであったそうだ

1939年(昭和14年)になると
御多分にもれず、朝鮮人が小樽経由で連れてこられた
労働力の不足を植民地支配していた朝鮮半島に求めた
茅沼へは79人が来ていた

1944年(昭和19年)戦時下の鉄鋼増産が叫ばれ
コークス用原料炭として強粘炭の増産体制がに突入する
朝5時から夜8時、9時までの重労働で働かされた
炭鉱の病院に入院しているのはタコ部屋人夫、朝鮮人ばっかしだった
地元住民の男も女もも挺身隊で鉱内作業に従事
(証言者の記録から)

ここで働かされていた
タコ労働者や、朝鮮人・中国人のはっきりした人数は解明されていないようだが
資料によると、朝鮮人の数は555人、発進、採炭、運搬などの重労働に投入されていた。

1944年から1945年にかけて40~50人の朝鮮人中、日本人が3人程度の状態で
朝鮮人労働者の方が日本人より多くなったそうだ
逃亡した人は188人にものぼると云うから、どこでも過酷な労働が行われていた証しで、各地の探鉱や、鉱山で聞く話だ

中国人は
この奥にあった玉川選鉱場及び沈澱池造成工事に連行されて来た
(200人中4名が船中死亡)

1945年10月茅沼戻鉱の朝鮮人700人余、退職金と物資の支給を求めあ
帝国鉱業開発玉川鉱山180人が生命保険の支払い、退職手当、物資の支給を求めて
ストライク  (1945年10月21日北海道新聞)

1964年(昭和39年)茅沼炭鉱閉山
1965年(昭和40年)5月茅沼村北上ノ沢の地蔵院に納骨されいた朝鮮人の8体の遺骨が泊村法輪寺に移され、10月、法輪寺で慰霊祭が行われた

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このお寺の過去帳と村役場に残されていた
執葬火葬認許書にその8体の身元が記載されていた
8体とも乳幼児で
3歳2ヶ月を筆頭に
0歳~3歳まで
1体は生後間もない4カ月の赤チャンであった

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死亡者数に
34人の朝鮮人犠牲者がいた

法輪寺の裏山の墓地にある
無縁塔

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帰ることなく
この地で命を落とされた
人々が眠っている

先日
この地を訪れて来た

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茅沼墓地には
新しい火葬場が出来ていたが

古い火葬場跡に
誰が供えたのか
海岸の石で造られた
地蔵様が一つたたずんでいた

当時お金の無い人は
海岸の石を拾って来て墓にしたと云う
少し金を持っている人は
その石に
亡き人の文字を掘ってもらったと

確かに
周りの墓地の中に
石がお墓にされている様子が残されていた

海を見渡せる丘の上で

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