« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »

2008年6月

小樽に特殊船攻艇出撃基地を訪ねて

Img_0338

小樽市のカヤシマ岬
旧高島隧道付近の海岸に
戦時中
生きては帰れぬ
突撃船艇が密かに計画されていた

当時の小樽には
海軍の水上飛行場と兵舎が造成されたそうだ
陸軍は有名な暁部隊(陸軍船舶部隊)が
駐在していた

しかし
それらの
部隊がどんなかたちで
どんな様子かは
あまり定かではない

しかし
特殊船の突撃船艇の
基地が今も残されていることが判明していて
気になっていた

Img_0335

小樽の仲間も
その場所を知らず
幾つか手に入れた資料を手に
5月31日
カヤシマ岬を探査してきた

海岸の岩場を
突き進む
壁岸付近には
イタドリが身の丈以上に伸びきっていた
ここかと思われる場所を探すが
見つからない
一人が
岩場の裏か?
と海水に浸かりながら
奥に進んで
戻ってきた

そんなに奥ではないだろう
そんな気がして
手前に戻りながら
生い茂るイタドリをかき分け
崖岸をくまなく探してみる
しばらくして
人1人が入れそうな穴を見つけた
ここだ
あった・・・と叫んで中に入って見る
高さ2メータほど
奥行き
真っ暗で何も見えないが
少し携帯電話の
微かな明かりを頼りに
奥に進んで見る
デジカメを写し
画像を確かめて見る

かなり奥に延びている

そのうち目が少し慣れてきたが
残念なことに
誰も懐中電灯の用意をしてこなかった
ビデオカメラを

赤外線用に切り替えながら
真っ暗な洞窟の奥に進む

Img_0334

生きては帰れぬ
水上特殊船攻艇
人間魚雷と同じ考え
敵艦船に身を呈し突っ込む
水上特攻作戦
小樽を本部に置いていた
陸軍第4野戦船舶廠が
陸軍の命を受け
船の設計から
訓練までを任されたと言う
戦況不利と見た
日本陸軍が考え出した
出撃作戦

20代前後の若者50人が
志願、指名をされた

しかし
作戦は遂行されずに
戦争終結を迎えた

「けっして好きでやった訳ではない。
だが、そのころは全く抵抗感がなかったし、
先に死に行くのが名誉とさえ思っていた」

手元に入手していた
1995年6月14日の新聞記事
ふるさとの残像
戦後50年
幻の爆雷ボート作戦
「長引けば命なかった」と見出しが
おどる

マルレ作戦の基地だったと

作戦は
爆弾を積んだ長さ5・6メートルの
ベニヤ製ボートに一人が乗り込み
敵艦船に突っ込む水上攻撃作戦であった

もし戦火長引けば
若き命
何人の死者を出したか!

「お国の為に死んでこいよ」

同じような出撃基地跡が厚岸の大黒島にあるそうだ
そこは、海軍の人間魚雷基地
大勢の朝鮮人が強制連行・強制労働で働かされていた記録が残る
小樽の特攻基地跡
この洞窟は
誰の手によって掘られたか?

Img_0336

洞窟の一番奥まで行って
ビデオカメラ赤外線で
あたりを見回す
左手に折れた洞窟が伸びているのを確認した

奥行き30メートルほどか
この次は
きちんとした調査をしよう
明かりもメジャーも必要

帰りに小樽市の博物館に寄り
学芸員と話をして来た
戦争遺跡は
きちんと調査がされていません

特殊船攻艇基地も
未だに手づかずですと・・

小樽市に残る戦争遺跡
保存運動を含め
聞き取り調査など必要な時期であろう

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »