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2008年3月

非道理

日本軍「慰安婦」歴史館
ナヌムの家

慰安婦にさせられ
人生の大半を狂わせられた人達が
共同生活を送っている場

訪れた
3月1日の
この日は
独立記念日

その
催しの祝い

そして
昨年から今年にかけて
亡くなられた
ハルモニ(おばあちゃん)達の
法要が行われていました

沢山の人が訪問
ボランティアの女子高校生がいて
そのお母さん達が
駆けつけて
タスキをかけて

食事の用意をしていました

ここには
御坊さんが居り
尼さんもいました

若者達が
チャンゴを鳴らし
坂下から登ってきました
円陣を組み
輪になって
踊っているのを見た

ハルモニが
一緒に楽しそうに
踊っている姿がありました

法要の場では
蝋燭に火がともされ
紙が燃やされて
煙が舞い上がってます

亡くなったハルモニの
家族も来ていたのでしょう

一人去り
二人去りしたら

いつの間にか
誰もいなくなり
都合の良いことに
謝罪も
補償もしなくて済む

日本の
責任
どうなるのでしょうね

見ざる
言わざる
聞かざる

何でしょうね!

非常に
不愉快です

非道理は
通じませんよ
生き証人が
居るのですからね

私たちに
一切責任がありません
良く言えますね

ここの資料館に来てご覧なさい

1度その眼で
確かめて見たら

「過ちは繰り返しません」


訪れた多くの人
勿論日本人ですが
沢山の寄せ書きが
ありました





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ナヌムの家で

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遺族のもとへ

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戦後63年目を迎える年
室蘭と赤平に残されていた
強制連行犠牲者の御遺骨を遺族のもとへ届ける
「強制連行犠牲者遺骨北海道捧持団」
一向30名(報道関係者含む)が訪韓した

この程市民の手によって
返還された御遺骨は
室蘭輪西の光昭寺に残されていた

鄭英得(チョン・ヨンドク)さん   死亡時年齢  16歳
李延基(イ・ジョンギ)さん    死亡時年齢  15歳   
具然鍚(ク・ヨンソク)さん    死亡時年齢 17歳
いずれも亡くなったのは10代の若者たちであった
赤平の宝性寺に残されていた
趙龍文(チョウ・ヨンムン)さん  死亡時年齢 39歳
4人の御遺骨を2月26日に
新千歳から韓国仁川空港まで運ぶ
仁川空港タラップまで
韓国奉恩寺(ポンウンサ)の僧侶が
鈴を鳴らしながらお出迎え
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空港にて
遺族のもとに
運ばれた遺骨が
室蘭と赤平の市民の手から
ご遺族のもとに渡された
引き渡し式と記者会見後
捧持団と遺族側はそれぞれ2代のバスと霊柩車で
遺骨安置の奉恩寺へ
パトカーと白バイ2台がソウル中心部の奉恩寺まで先導
境内では
遅い時間にもかかわらず
僧侶と
奉恩寺の檀家(信徒会)の皆さん達が2列に並び
手を合せお経を唱えながら出迎え
その中を鈴を鳴らしながら僧侶を先頭に
遺族と捧持団が続く
仏様がいらっしゃるという
奉恩寺法王楼本堂へ
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安置式が行われる
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日韓の僧侶の読経が境内に鳴り響く
遺族の手でと奉恩寺職員のよって祭壇に並べられた
4人の御遺骨に語りかけるよう
静かにそれぞれのお経が流れる
時を経て届けられた
遺骨に届くように・・・
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その後
遺族との「懇談会」が選仏堂で開かれる
あんずのお茶とお菓子が渡された
今回韓国側での
遺骨引き受けで重要な約務を引き受けられた
奉恩寺住職明盡和尚も見えられた
遺族から
室蘭・赤平の市民と
強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラムに
これまでの取り組みに
感謝の言葉が告げられた
日韓双方の想いが結びあった瞬間だ
夕食は
奉恩寺隣の食堂に
住職が用意してくれていた
翌27日は午前9時から12時まで
奉恩寺(ポヌンサ)音雨堂で
「日韓共同シンポジュウム」が開かれた
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明盡師が最初に挨拶
引き続いて
李泳禧氏が「基調講演」
フオーラムの殿平義彦氏
光云大学の金廣烈氏
在日を代表して李紅掊氏
がそれぞれ問題提起と
これまでの取り組みを報告し
室蘭の富盛さんと
赤平の石村さん(赤平高校教論)が
それぞれの地元を代表して
挨拶を行う
「過ちの歴史を繰り返さず
 未来に向かって双方の市民が努力していくことを」誓った
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途中わが街の滑走路造りで
強制連行(徴用)されてきていた
安さんの御子息さんの海龍(ヘリョン)さんが顔を見せた
12年と何か月ぶりの再会である
境内の選仏堂で安海龍さんともども
昼食を取る
何人かの皆さんに
安海龍さんを紹介する
彼は在日の慰安婦の裁判闘争を描いた映画
「おれの心は負けていない”」の監督を務めた人だ
韓国と日本を行ききしながら強制連行の実態や
慰安婦問題をライフワークにして
映像などで伝える
フリーライターだ
13年前の7月
お父さんとともに
わが街を訪れた
その時に
現地を案内したことを
覚えていてくれた
彼のお父さんに再び会いたいと
戦後60年目の時から考えていた
あの時は
満足な接待も対応も取れず
自分が住む街に
連行されてきたことに
日本人として申し訳ない気持ちで一杯だった
訪韓は安さんのアボジと会うことも
目的の一つであった
翌日「望郷の丘」で納骨・埋葬が終わってから
午後3時半にホテルに迎えに来ると言って
仕事があるからと別れた
午後2時から
会場を移して
法王樓で「慰霊祭」「と「薦度祭」が開かれる
大きな本堂に満杯の人が座る
奉恩寺の信者や檀家さんたちもいて
250名ほどの日韓の市民と
僧侶が居並ぶ中
日本から参加した
僧侶6名の読経
わが街の若僧侶も参加してくれた
涙が込み上げて来て困った
韓国の奉恩寺の僧侶のお教の後
尼様による
「薦度祭}が行われる
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韓国の無形文化財55番だそうだ
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ドラが鳴り
お教が流れ
ドラを手にしての
舞いが行われる
薦度祭が
63年目の韓国ソウルで
御遺骨に
丁寧に
捧げられて
無事に追悼法要の
「慰霊祭」「薦度祭}を終えてから
奉恩寺を見物する
お寺の
裏は少し小高い山
修道山(スドサン)に
いくつものお堂が点在する大きなお寺で
1200年の歴史を持っている韓国を代表するお寺だそうです
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大雄殿などの貴重な建物と
薬師如来などで構成されている
お寺であった
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翌日の28日には
午前8時から
再度遺族とともに奉恩寺へ
「遺骨移運式」
が行われる                           
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お寺で最後の
お教が
読経が流れた
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その後
バス2台と霊柩車、奉恩寺の車と先導はまたもやパトカーが
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明盡和尚が自ら
捧持団のバスにわざわざ乗り込んで来て
マイクをとり
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「日本の皆さん有難うございます」
「本当に御苦労さま、日韓の新しい信頼関係を築きましょう」と
ご挨拶された
明盡師は
1,000日修行をしている最中で
お寺から出ることが出来ない為
望郷の丘までは
一緒には行くことが出来ない
今回の
遺骨返還で明盡師の重責は重かった
和尚の引き受けの同意なくしては
遺骨の返還は実現しなかった
大変お世話になりました
感謝 感謝です
隣にいるのは通訳を努められた
金英丸(キム・ヨンファン)氏
天安市の国立共同墓地
「望郷の丘」(マンヒャンウィ ドンサ)に向かう
高速道路を使用し
1時間ほどで
山間の静かな丘の中に
延々と続く墓標が見える
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日韓の僧侶による
読経の中で
蝋燭に火がともされ
しめやかに奉安式がとり行われた
ここでは
趙龍文さんと具然鍚さんの
お二人の御遺骨が納骨され
李延基さんと鄭英得さんの
お二人が埋葬された                      
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納骨堂に続く道を
僧侶が
鈴を鳴らし
お教を唱えながら
1列になって進む
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墓地の前までの道にも
日韓のの僧侶が念仏を唱えながら歩く
遺族と捧持団が後に続く
墓地にはテントがかけられ
職員が埋葬のための穴を掘っていた
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穴の中に骨壷が埋められ
お二人の
お墓を立てられた
菊の花が添えられた
「アイゴ~お兄さん・・・
とうとう故郷の地に帰りました
あの世にいる
お父さんさん
お母さんと
会って下さい・・・」
ご家族の泣き叫ぶ声が
墓地の周りの丘に
木霊した
全員が花を添えて
安住の地で
どうぞ安らかに
お眠り下さいと
手を合わせた
丘の中に並んでいる
墓標の中には
北海道の文字が
かなりの数見かけることが出来た
この望郷の丘は
在日の
居留民団のカンパによって
海外同胞が亡くなって
祖国の地に
安住させるために造られた
墓地だそうだ
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無事
ご遺族と
共同墓地{望郷の丘に」納められて
ご骨を
お返しする約務は
終焉をした
墓地の近くで
昼食を共にしながら
ご遺族と別れを惜しんだ
遠くに帰る遺族の人を
奉恩寺の車が送って行った
手を振りながら
それぞれが別れを惜しんだ

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室蘭と
赤平の市民は
やっと
安心したに違いない
それぞれの地で
お線香代や香典が集められた
勿論
強制連行・強制労働を考える北海道フォーラムも
道内各地から募金を集めた
奉恩寺では住職と信徒会さん達が
独自に募金を集めていてくれた
集められた浄財は
納骨や埋葬に使われ
残金が
遺族に渡された
日韓の良心が
手を結び合って
実現された
遺骨返還
本来ならば
日本政府や
企業が
戦後責任の為
謝罪と補償をすべきなのに・・・
外務副大臣がメッセージを寄せ
北海道知事がメッセージを寄せてくれてはいたが・・・
これで
良いのだろうか?
まだまだ
北海道各地には
お寺にも
大地にも
遺骨が残されている
今後も
真実の解明が必要だ
最後に
韓国の大学生や
在韓の日本人の若者達が
次から次と
入れ替わりながら
通訳など
様々な面で
ボランティアとして
付き添って下さいました
釜山から
出て来て
駆けつけてくれた
韓国の女子大生も
いました
本当に有り難い
旅となりました
感謝
この
日韓の
若者達が
今回の
私たちの
取り組みに共感され
体験をされたことで
未来に繋がる
相互に信頼される
絆と
関係を
つくり上げてくれるであろうことを
確信した
東アジアの
真の和解に向けて・・・
昨年の
浅茅野飛行場の
聞き取り調査に同行した
光云大学の
ソン君も
勿論
2月29日まで
アルバイトを休んでまでも
付き合ってくれた
地底から
耳元に囁いていた
嘆きの声が
いつの間にか
静かになり
爽やかな
小鳥の声と
安らぎの風に
変わっているのを
感じとるのを
受け止めた
合掌

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