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2008年2月

室蘭で

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2月17日(日)午後1時30分
室蘭市輪西の光昭寺で
朝鮮人犠牲者の遺骨を返還する市民の集いが開かれた
第2次大戦中に
労働力を補う為
朝鮮半島から強制的に動員させられて来た
若者が
この地で亡くなった
しかし
戦後60年過ぎた今も
亡骸は
光昭寺に残されたままであった

鄭英得(チョン・ヨンドク)さん 1929年生まれ 死亡時16歳
李廷基(イ・ジョンギ)さん   1929年生まれ 死亡時15歳
具然錫(ク・ヨンソック)さん  1928年生まれ 死亡時17歳

3人の遺骨を
母国に返還するため
「強制連行犠牲者の遺骨返還を実現する会」が結成され
遺骨返還の賛同金(募金)が呼びかけられた
会は
寒空の中で
街頭募金も行ってきた

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集いの
この日
追悼法要に参加した110人と
室蘭仏教会の各宗派の僧侶と住職
深川市一乗寺の僧侶
(強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム共同代表
)も加わり
7名の読経が本堂に響いた
参加者それぞれが
焼香または献花を捧げた
室蘭市長のメッセージが読み上げられ
在日同胞からの挨拶
室蘭出身の文学者朴 重鎬氏(千葉県在住)からの
メッセージが披露され
室蘭の艦砲射撃の惨状を紙芝居で伝えている人が
追悼の言葉を述べ
市民代表挨拶では
小学校6年生が
自分と同じ年代の人が犠牲とされたことに
心が痛む
と話されて
参加者の中には
ハンカチで涙をこらえる人の姿が

遺骨は
赤平宝性寺に残されていた遺骨とともに
24日本願寺札幌別院での
追悼法要後
26日に
遺骨捧持団30人とともに
ソウル奉恩寺に安置され
27日シンポジュウム後
天道祭と追悼法要が行われる
28日「望郷の丘」に埋葬される
遺族も駆けつけてくる

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62年を経て
やっと安堵の眠りにつける
民衆の想い
取り組みが

遺族のもとに
届けられる

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恵庭にも

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道の横の壁際から
水が染み出して
糸状の氷柱が
坂道に見事に連なっています

ここは
恵庭渓谷と呼ばれる
川の傍
モイチャンの滝に通じる道

先日の
支笏湖周辺から見ると
紋別岳の裏側にあたる

同じ自然体験クラブ仲間の
ウェッチから
恵庭の白扇の滝に
スノーシューで
お散歩に行きませんかとのお誘い

んじゃーまーと
参加者千歳から3人
苫小牧2人
地元恵庭から
ウェッチと
婚約者のロシア人○○さん

来年の
冬のコースの下見を兼ねて
ツララは
ブルーに輝いて
見事であった

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モイチャンの滝
夏は水量もあり見ごたえがある滝
冬場のモイチャンは初めて
滝下は凍っていた
流れ落ちる水もやや少なめ
ズームーを使って接近

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崖の上から見ると
遠くに滝が流れ
周りが氷付いているのが
良くわかる
この左側にも
見事な氷柱が出来ていた
行きが2時間
帰り30分
一汗かいて
車のところに戻り

ラルマナイの滝
駐車場にて
トイレタイムと
昼食
東屋で
お湯を沸かし
コーンスープで温まり
持参した御握り
そしてコーヒータイム

落ち着いたところで
ラルマナイの滝見物

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穏やかな滝を眺め
目的の白扇の滝へ
この滝は
観光コース

冬場にも関わらず
人の足跡が続いていた
つぼ足でも
まったく埋まらない

ichan イチャン アイヌ語で 鮭産卵場
mo ichan 「小さな ・イチャン」又は「小・イチャンコッペ」

rarmani ラルマニ オンコの木
ラルマナイとは オンコの木が多くあった川か沢かも

周辺は
一昔前
アイヌの狩人が
ヒグマを追いかけていた処である

その当時の
面影も
新しい観光道路と
ダムができて
すっかりと変貌してしまった

若い頃
ダムもできる前に来た時は
鬱蒼と茂る森林の中で
あった。

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丸山遠見自然探歩

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ヒドリガもが日向ぼっこをしています
群れをなして遡上していたサーモン達は
寒波がきて
あれほど降らなかった雪が
2~3日降り注ぐと
いつの間にか
姿を消した
横たわっていた
ホッチャレも随分といなくなった
何処へ行ったのか不思議でしょうがない

先日の
日曜日に支笏湖周辺
樽前山のすそ野にある丸山遠見(まるやまとおみ)に
自然体験クラブのスタッフとして出かけてみた
午前中は非常によい天気
休暇村に集まり
そこから国道276号と苫小牧に通じる樽前国道から
丸山森林詰所(旧丸山営林署及び社宅跡)から
ドド松、赤エゾ松、黒エゾ松の人工林をスノーシューで歩いて
丸山遠見に向かう
スタッフ4人、会員3人、計7人で
途中黒テンの足跡、兎の足跡、蝦夷谷地ネズミの足跡
狸に、鹿の足跡が点々と続いていた

周辺は
2004年の台風18号で
そうとうの森林が倒木と化した
今も、その処理は終わらない
機械による作業により
生き延びた木さえ
作業の邪魔だと
切り倒してしまう
樽前の火山灰が分厚く堆積している山地で
再び針葉樹を植林している
元々、そこに育っていた
広葉樹は見向きもされない
1954年(昭和29年)
洞爺丸台風により
ここいら一帯は
1面倒木の山になり
その後に植えられたのが
椴松などの針葉樹であった
アイヌの人々が駆け巡っていたころの
様相と異にした
広葉樹と針葉樹が入り混じる
自然体系が崩されている
王子がパルプの材料に広葉樹を切り出し
泥の木を原料としたマッチ工場が建ち並んだ
歴史を経て
再び
針葉樹林帯を描こうとしている
湧水も枯れかかっていた

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丸山遠見標高327m
頂上に森林の育成状況を監視する望楼が建つ

13mの望楼からの眺めは
素晴らしい
遠く苫小牧の海も見え
恵庭、北広島市まで一望だ
空沼連山、恵庭岳、漁岳も見事な眺めを見せてくれる

登り2時間
下りこ1時間

久しぶりに
心地よい汗をかいた

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