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旧千歳鉱山跡へ

Pict0035

この川は
国土地理院の地図ではソウオンピプイ(滝・に入る・美笛川)と書かれているが
モシルンピプイ(中島・に入る・美笛川)が正しい名前である
そのモシルンピプイの支流である
綺麗な川で、眺めも素晴らしい
1933年(昭和8年)この川の鳴尾沢で金の露頭が発見された
1936年(昭和11年)戦前の財閥である
中島飛行機グループの中島商事が、千歳鉱山株式会社を創設し
操業が始まった
1939年(昭和14年)この山も
他の炭鉱や鉱山と同じように
朝鮮半島から
連行されて来た人々が働かされていた
Pict0034_2

9月30日
前日から支笏湖美笛キャンプ場で
1泊していて、帰るとき少し時間もあったので
旧千歳鉱山跡まで足を延ばし
昨年から気になっていて
行く機会を失っていたのだが
思い切って山道に車を走らせた
今は、訪れる人もいない
川筋に!

この川が二股に分かれるところが
戦前は、本山町と呼ばれていたところであろう
下の写真が川も道も二股に分かれている
旧本山町と思われる場所である
今は、まったく面影も無いが
千歳鉱山の軌道が走っていた
千歳鉱山建物配置図(5千分の1)の本山町に
半島人合宿と書かれていた建物が描かれていた
1943年(昭和18年)金鉱山は労働力の軍事部門移管により
金の採掘が禁止され
千歳鉱山は、優良金山の為鴻之舞と共に、保坑とされ
現状維持のまま残されたが
この休鉱により、ここにいた朝鮮人達は他へ移された
戦後千歳鉱山は、1948年(昭和23年)再開されたが
本山町にあった飯場や社宅は姿を消していた
その鉱山も
1986年(昭和61年)操業を停止し
53年の歴史に幕を下ろした
国道276号千歳橋右手付近に社宅などが立ち並んでいたのだが
国道から二股・本山町までは3,5キロ
熊の住処と思われるところであった。

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コメント

私は昭和30年、千歳鉱山小学校に転校、2年生でした。団塊の世代、鉱山も最盛期だったので私たちの学年は2クラスありましたがあっという間に衰退し一クラスにまとめられた。弟は中学校の同級生でも6-7人でした(千歳鉱山小学校以外の小学校から中学に上がる小学生はない)。
 昔の同級生たちはどうしているのかな?40年くらい誰とも会っていません。寂しいな。

投稿: 仙台のハム吉 | 2016年9月14日 (水) 16時47分

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