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2007年8月

浅茅野にて

Pict0076 60数年前に
旧陸軍の
北部軍司令部は
宗谷の浜頓別町から
最北端の村
猿払村にかけ

お天気の良い日には
サハリン(旧樺太)が見える地域に
二つの飛行場を造った

囚人が集められ!
大工が全国から2~300名集められ!
地元住民も強制的に駆り出され!
タコ部屋が出来!
遠く
朝鮮半島から
強制連行で連れてこられた人によって
ここの、二つの飛行場は造られた
モッコを担いで
トロッコを押して
ツルハシで抜根を取り除き
笹刈りもして
沢を埋めて
造られた
大変な労働だったと地元住民は言う
虱により発疹チフスで大勢の人が亡くなった
浜頓別の
たった一軒しかない
病院に棺おけと共に運ばれた人々

腹を空かして倒れる者も出た
草をかじり飢えをしのいだが
その辺に生えている
草を口にしながら死んだ人もいる
千歳でも同じような光景を聞いた

生き埋めにされているのを見た人もいる
その人の話も聞いた

逃げ出した人に
御握り(麦飯)を手渡し
逃げる道を
地図を描いて教えた人もいた

戦争は
人を人として扱わなかった
軍がいて
軍の工事 を請け負った
業者がいる
名前も判明している

そこで亡くなった
人の扱いが
問題だ!
ここで働かされていたのは
まぎれも無い人間である
その人間の命が
粗末にされた

昨年夏
在日の若者達
韓国から
この為にやってきた若者達
そして、日本の若者も
学生達も
古くから強制連行の調査を続けている
老若男女の人々
高校生や僧侶も加わり
300名以上の人々の手によって
12~13体の遺骨が見つかった

今回訪れた
成田の沢
昨年遺骨が見つかった
旧浅茅野共同墓地に
地元実行委員長さんが
自費で建てた
慰霊碑がひっそりとたたずんでいた

この委員長を引き受けてくださった
Sさんは、お父さんが戦地で亡くなり
遺骨が戻らなかった悲しみを抱いている
同じ想いや
悲しみを持つ者として
委員長を引き受けてくだされた

こうした人の協力なくしては

Photo

真相解明や
遺骨の発掘は出来ない

今回も、大変お世話になりました
有難うございました

昨年発掘された遺骨が
骨箱に収められ
浜頓別のお寺に
預けられている

強制連行はありませんでした
従軍慰安婦には軍は関与していません
沖縄の集団自決に軍の命令はありません
と言う「シンゾウ」や
「ショウイチ」「ノブタカ」
「ツトム」「ジュンイチロウ」 などなど
名前を挙げればきりが無いが

右の方しか見ない
ヤギやフジオカなどの
学者連中や
自ら取材も、調査も行わない
ジャーナリストを名乗る
「ヨシコ」や
政治家どもが
こぞって
恥ずかしいことに
アメリカの新聞ワシントンポストに
広告まで載せて
偽装工作までして

何が”
美しい国か!

今も、この北の地に眠る
多くの死者に
一度くらいは
手を会わせて
お線香の一本もあげてみるべきだ
それも出来ないなら
学者も政治家もジャーナリストも
新聞記者も
やめてしまえ・・・

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